■「ボロボロの壁にペンキを塗って、開業にこぎつけました」

大西歯科モノレールビルクリニック

浜松町のこの地に、大西歯科モノレールビルクリニックを開業したのは、平成9年のことです。

当時は、バブルがはじけた直後。山一證券が倒産した、あの年です。それまで私は、赤坂、山王病院という大きな病院で歯科医長を勤めていました。処遇には恵まれ、自分自身でも、このまま勤め続けるのは悪くないと思っていました。

まわりからは「なぜ、こんな時期に開業するのか」と不思議がられたものです。
しかし、開業するには理由がありました。私の強い「独立」思考です。

医院を選ぶときの基準

みなさんは、歯科医院を選ぶとき、なにを基準にされるでしょうか。

場所、技術、病院の規模、評判。いろいろなポイントがありますが、ほとんどの方は「○○先生の治療は痛くないらしい」「○○先生はやさしい」など、歯科医師個人の技術や相性を求められるのではないかと思います。
そのため、歯科医師の世界では「開業して、盛業になって一人前」という考え方があります。

同時に、私には、歯科医師である父親への対抗心や、アルバイトをしながら勉強してきた日々の思い出がありました。病院の名前や規模に甘んじるのではなく、やはり「歯科医師 大西祥文」として認められたい。これが、開業を進める私の原動力となりました。

とはいえ、私には、お金がありませんでした。
歯科医院を開業するには、巨額の資金が必要なのです。治療用の椅子一台とっても、数百万円。わずかな自己資金と借り入れだけでは、とてもまかなえません。
とにかく安い物件を探すことにしました。そして、出会ったのが、浜松町のこの場所にあったつぶれかけの歯科医院です。壁も天井も、ボロボロ。ただ、以前勤めていた歯科医院の院長から機器をたくさん引き継ぐことができ、改装にかけるお金もないなか、とにかく壁にペンキを塗って、看板を直して開業にこぎつけました。
スタッフは、私と衛生士1名、受付1名の3名だけでした。

はじめての患者さんのことは、とてもよく覚えています。もともとの歯科医院に通われていた近隣の住民の方です。歯周病でお悩みの男性でした。その患者さんは、実は、いまでも当院に通われています。本当にありがたいお話です。